26歳、高卒、職歴なし

口だけは達者な26歳の、前を向いて生きていく記録

イーピンの宣言

何かを考えることに集中したいのに

鼻をかくだとか涙が頬を伝うだとか

そんな些細なことが邪魔をしてくる

意識がじゃまをしてくる


何かを考えるのはとても楽しいから

次はどんな体勢なら意識に邪魔されないか

布団の中でうずくまってみたり

うつ伏せになってみたり

でもその先には必ず意識がやってきて

頭を掻かせたり鼻を擤ませたりする

思えば、そんな事柄になにかを感じたことって

すごく久しぶりだなと感じた。


Remi Dumoulinという人のsomedayという曲を聴いている

https://youtu.be/ox1w9C87E1c

すごくズルい曲わ!って思ったけれど

その手法をできるほど元の曲に自信があるからで

たしかにハッと意識を奪われる

もっと続きを聞かせてくれ

なんで止めちゃったの??

と思っている自分がいることに気がつく

 


すごく煙草が吸いたい

もう本当に終わってしまうな

終わってしまうことに囚われ始めて

続いていることの喜びを忘れてしまいそうになる

続いているうちに何をするのかを考えなくてはいけないな

 


“我流でやらない

先人のたどった道筋を参考にしないなんて、

どれだけ遠回りする気なんですか。”

吉田松陰

 


これがないと感じられないことや

気が付かないことや

聴き分けられないこと

味わいきれないこと

などがあって

 


それ無しでは物足りないと

感じてしまうようになった

 


聴くなら本気で聴け

本気で考えろ

本気で味わって

本気で感じろ

そうじゃないと

 


自分が今何がすごいと思ったのか

どこが素敵だと感じたのか

自分でわからないことには

作り出しようがない

 


こうして、どんどん知ろうと思う

目を凝らし耳を凝らし

繰り返し繰り返し

あるいは新しい感動を探りにいこう


Javier Santiagoという人のAutumnを聴いている

https://youtu.be/savId_ElzUk

 


与えられないと動き出せないようでは

人間おしまいだ

 

 

 

バンドやってたんですが、コロナ禍のゴタゴタで1人減ってどうにもならなくなっちゃって、結局一度だけ初々しいライブをして止まってしまいました。

 

今は1人で細々と作ったりしています。

 

殺伐としたわけのわからない雑記にお付き合いいただきありがとうございます。

 

コルカタ、最初の夜。 - インド放浪#4

随分と時間が流れた。

怠惰がなかったとは口が裂けても言えないが、ことの全てを書くには、ここは、あまりにも開けていて困ってしまう。

今更ながらこれは誰かの手記を読んでいる体裁を取らないものか、もしくは苦し紛れの夢オチで誤魔化しはきかないか…などと捻って唸ってはみたが。現実とは時に、物語よりも奇なるものでありましょう。

 

コルカタの初夜は落ち着く訳もなかった。

結局散々街を徘徊し、やれあっちは汚すぎる、やれ暗くて怖い、やれちょっと高そうだなあ…などと選り好みをしては言い訳を繰り返して、宿一つすら選べずに足はくたくたになっていた。

次見つけたマシそうなところに入ろうと意を決して、少し歩いた先の鉄格子越しに仲の談笑するインド人二人に声をかけた。

「宿を探してる。ここは今日は空きはあるか?」

彼らもかなり驚いていたが僕を招き入れた。

「空きはある、が少し高い部屋だけだ。2500ルピー、3000ルピー、5000ルピー。どの部屋も間違いなくホットシャワーがある。」

Wi-Fiはある?すごく困ってるんだ。」

「あるとも!安心してくれ」

こうしてその中でも一番安い2500ルピーの部屋に決めた。日本円にして7500円。安くは無い。

 

「どうぞ、ご主人」

そう言われ部屋に入ると天井のえらく高いダブルベッドのがらんとした部屋に通された。(のちにわかることだが、インドでこれほどの宿は見なかった。最も、その後の宿は予算が1/10だったりした。"sir"なんて言われたのもここくらいだった、格式高いところだったのかもしれない。)やっと一息、荷物を置いて、明日からのことを考えてワクワクした。友人にすこし電話をして、明日行くべきところを一つ一つネットで調べて行った。

この街は酒に興味がないようだった。夜8時頃のコルカタ、空港からのバスも通る大通りからすこし街の内部に入るとすぐにある市場。昼間は男たちが我先に品物を売ろうと叫んでいたが、夜はいくらか落ち着いていた。それでも四方から車のクラクションが鳴り、八方から人の声がした。パッと開けたと思えば屋台がいくつか並んでいて、焼きそばのような屋台に目を引かれ自然と引き寄せられた。綺麗なおそらくまだ十代の女の子2人が仲良く焼きそばを食べていて、僕と目が合った。そのまま2、3人の少ない列に並んで、彼女たちと同じのをくれ、と注文した。

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しばらくして料理が運ばれてきた。目の前の皿に釘付けになって、一口頬張って、おぉ、悪くないじゃん、といった顔をしていたのだろう、いつから見られていたのか先ほどの女の子2人がニヤつきながらも少し不安げにこっちを見ていた。

うまいよとグーサインをして笑いかけると向こうも嬉しそうだった。

そう、この街は酒に興味がないようだった。街にはあらゆる種類のゴミがその辺に落ちていたが、酒瓶や缶の類はまったくなかった。

僕はビールが飲みたかった。

ライフルゲート - インド放浪#3

実は友人の一人が、既に僕と同じくコルカタインでインドを旅していたので前々から少しだけ情報をもらっていた。

「街が俺を騙してくる」

「街から出られない」

酒の席の笑い話と聞き流していたが、インドに降り立ってから妙にその言葉が頭をよぎった。

 

比較的換金レートがいいという店を調べ地下鉄に乗り込んだ。エスパラナーデから2、3駅で降り20分ほど歩いた。たしかに目的地の目の前にいるはずだったが見当たらない。近くの人に聞いてみると案内してくれた。

そのゲートにはライフルのようなデカい銃を持った軍服の男とヨレヨレの服の男が談笑していた。換金をしたいと伝えるとヨレヨレの服の男に中に招かれ、薄暗い建物に入るとさらに3人の男がおぉ客かぁといったような気怠さで僕を迎えた。

one minute! と一人が言い電話をかけ始めた。覚悟はしていたが当然すぐに済むはずもなかった。15分ほど何本か電話をかけたかと思うと、付いて来い、とその建物の内部にぞろぞろと進んでいった。何故こうもインド人の笑みは不適に映るのか、内心かなり恐怖しながら付いて行った。

 

古い映画で見るような格子戸のエレベーターに乗り込み四階ほど上に上がり(マジで怖い)、降りてさらに建物の奥へ進んだ。部屋がいくつもあったが閑散としておりほとんど人の気配はなかった(マフィアのアジトかなんかじゃないのかと思った)が、建物自体は比較的綺麗で余計に不気味だった(あーこれワンチャン死んだな殺されるわと思った)。

一番奥の部屋に入り、男たちはまたone minute!と言うとPCの前に座り作業を始めた。

 

結局小一時間ほど部屋の椅子に座らされ、男が紙切れにサインしろ、というのでもうどうにでもなれとサインすると、紙幣を数えてごっそりと持ってきた。確かに調べたレートと同程度で、これでいいな?に「お、OK.」と答えると彼はニッコリと笑った。

なんだか拍子抜けしてしまった。たかがこれだけの為に何故僕はここに1時間以上拘束されてたんだ…?死まで覚悟したというのに。こいつらは、薄暗いオフィスでニタニタしたインド人に小一時間待たされる恐怖をちっともわかっちゃいない。

紙幣を交換し握手を求められ応じた。これで終わりだ!帰り道は大丈夫か?と言われ、放心状態のまま、大丈夫だと答え建物を出た。

 

銃の男が、笑顔で見送ってくれた。

 

ただの被害妄想でしかなかったが、こんなに恐怖するならレートが悪い方がいいんじゃないかとすら思った。

コルカタは曇天 - インド放浪#2

インド第二の都市コルカタの空港に着いた。

とりあえず最悪のレートだろうとはわかっていたが空港内で一万円分換金を済ませた。そして空港などどこも一緒だろうと、いつも通りSIMカードを手に入れようと通信会社のテナントを探すもどこにも見当たらない。早朝ということもあったし一通りうろうろして諦めがついて、一旦外の空気でも吸うかと自動ドアから出た。目に飛び込んだ最初の景色は、土埃の舞う黄土色の大気の奥に淀んだ灰色の空と、待ってましたと言わんばかりの大勢のタクシー運転手たちだった。「Where are you going?!」を連呼して何人も群がってきた。僕は意地でもタクシーなんぞ乗るものかと思っていたのであしらったが、タイのそれとは比にならないくらい諦めが悪い。なんとか振り切ったところでバス停の看板を見つけ、歩いた。

エスパラナーデ、それがコルカタの中心街のようだった。バスを待つそこらの人に英語で尋ねてみるとすぐにバスの番号を教えてくれた。五分もしないうちにそのバスはやってきて乗り込んだ。次第に乗客が増え始め、乗組員が外に何やら叫んだかと思うとバスは走り出した。

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まず驚いたのは飛び交うクラクションの煩さだった。道に人がいれば鳴らし前が遅ければ鳴らし、とにかく俺が今から通るぞ!の意思表示は全てクラクションで道路は騒々しかった。

途中何度もバスは乗客に何の合図も無しにバス停とはとても言えない路傍に止まり(その度に後続からクラクションを浴び)、乗客も当然のように乗り降りしていた。

次第に辺りが街らしくなってきて、交通量も多くなりバイクやリキシャも増え始めた。次にバスが止まった場所は完全に車たちの流れの真っ只中だった。乗客はそこに降り立つと、ゆるく手を挙げて通り過ぎる車の間を縫って街に消えていった。マジかよ。この荷物で俺もおんなじ感じで行くの?と思いつつ、maps.me(というオフラインでもGPSが作動するマップアプリ)を見ると目的地の目前にいるようだった。

乗組員が目配せをして次だよ、と合図をくれた。幸い同じ場所で三、四人が降りたため僕も彼らに従ってなんとか車の流れを潜り抜け歩道に辿り着いたが、初っ端からめちゃくちゃすぎて笑えてきた。

 

インドに着いた。

 

とりあえず散策を始めた。

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イギリスの支配下だった名残なのか、欧風の洒落た建物が所々に建っていた。歩きだと余計に煩いクラクションに苛立ちながらフラフラと散歩をした。アーケードに覆われた商店街は渋谷くらい人がごった返し、商人たちは声の限り叫んでいた。道端にはあらゆるゴミがそこら中に落ちていて、すごい数の野良犬が寝ていたり生ゴミを漁ったりしていた。何もかもが新鮮で興奮と恐怖があった。

割と綺麗そうなショッピングモールのような建物をみつけ入ってみた。一階のフードコートで二人の女性がトマトソースのマカロニを買うところにちょうど出くわし、僕もそこの店員に「彼女たちと同じのをくれ」と頼んで食べた。情け無いことにインド最初の食事にインド感は皆無だったが美味しかった。

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次は換金とSIMカードと宿だ。僕はまた歩き出した。

トランジットインタイランド - インド放浪#1

andymoriのライブ映像をYouTubeで見ながら記事を書き始めた。

 

インドに焦がれを抱いたのはいつからだったか。よく覚えていないけれど国内をヒッチで回った後から漠然と、次は海外かな、行くならインドかな…くらいには考えていた。

 

ずっと部屋の本棚で飾りになっていた印度放浪を開いてみて、冒頭を少し読んで、僕も筆者と同様に準備することをやめた。

 

2018年10月、派遣会社の一個下の上司に、12月から一ヶ月休ませてくれと頭を下げた。少ししてから航空券を買った。安さと待機時間の少なさから成田〜バンコク(タイ)〜ブバネーシュヴァル(インド)の便にした。ビザは面倒なので取得しなかった。本を開く前に(現地の空港でビザを取得する)アライバルビザという存在をなんとなく知っていたから。

 

12月初旬の朝、妹に見送られて家を出た。バックパックにトラベルギターを括り付けて成田に向かった。視線が痛かった。

 

成田空港に着いて航空会社のチェックインカウンターに向かった。カウンターには日本人のスタッフ。チケットとパスポートを出せと言われる。

「お客様、ビザはどちらですか?」

「アライバルビザを取得しようかと…。」

「この空港(ブバネーシュヴァル)ではアライバルビザは発行できません。6つの主要都市の空港でないと…。」

なんとかなるっしょ精神で本当に何も調べずに来たら、日本すら出られないかもしれない事態になった。

「じゃあとりあえずタイまで飛ぶことって可能ですか?」

「ではこの場でタイ〜インドのチケットと帰りのチケットも提示してください。」

要約するとこんな感じだった。空港の職員たちは半ば呆れていた。

仕方なく、コルカタというインドの第二の都市行きのチケット、帰りのインド〜バンコクのチケットを購入してなんとか発券でき、うだるような蒸し暑さのバンコクに辿り着いた。

 

チケットの値段の都合上二日間タイで過ごすことにした。以前大学の仲の良い同期たちと来たことがあったので慣れたものだった。一週間用のsimカードを購入して宿を予約して、拙い英語を駆使してバスと電車で宿に着いた。昼過ぎのバンコクに繰り出して屋台でパッタイとチャンを頂いた。

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夜になり、風俗街の一本横の通りのバーのような店で飲み直すことにした。通り沿いに背の高い丸テーブルとイスがいくつか置いてあり、PCをスピーカーにつないでhiphopがかかっていた。女将に好きな音楽を流していいよと言われ、『禁断の惑星』を流した。周りの客たちは目の前の女に夢中で聞いちゃいなかった。僕も僕で、そこで出会った女性を1,500バーツで宿に連れ帰った。良くなかった。

 

翌日、バンコク市内を流れる川を走る、船のバスに乗ってみた。アイスをかじりながらフラフラ歩いた。屋台のパッタイはやはりうまかった。カオサン通りには白や黒や黄色の猿たちが群れていた。

 

退屈だった。明日への不安と高揚があった。

 

翌日の早朝、コルカタ行きの便に乗った。

youtu.be

久しぶりだね

明けちゃいましたね

2019、ありがとう幸せ。

今年も一緒に生きよう。

 

インド放浪も残すところ一週間。

新年を迎えて、ひとつなにか区切りがついた心地です。

 

ハンドパン奏者と、オペラからロックまで歌えるゴシックレディと、ナチュラルハイの無尽蔵踊り子♂と、一緒に音出そうって言ってたけど結局実現しなかった。悔しいけど、ただ名残惜しいくらいがちょうどいい、焦らずじっくりと。もしかしたら映像作るかもしれないし!

 

残りの滞在は自分が出したい音、言葉、これをもっと具体的に詰めていく作業がこれから続くでしょう。

 

ちょっと飛行機乗ってインドという土地に来てしまえば、3,2,1ハッピーニューイヤー!も日本とは共有できない、新年なんてくだらないと思うけど、地球上にいれば太陽はやがてやって来てくれることにたまらなく幸せを実感する。また、こうして一年を振り返るのはいい事と思います。

 

音楽やりてえ、そう大きく出てとりあえず上京した今年、何一つとしてまだ基盤もコネクションも出来てないけど。インドに来るという選択が出来たことそれだけに価値はあったと思う。

 

夜通し一人で不安とコンプレックスと戦いながら考え込みながら、仲間たちの入ってくる声で身体を起こすのは気持ちが良かった。

何者でもない小さな自分、ガンジス川を一目見にいけば昨日までと何も変わらない今日が始まっていて、顔見知りに適当なあいさつをして、キウイを500g買って帰った、甘くて酸っぱくて美味しかった。

 

乱雑に抱負なのか、書き留めます。

来月には25歳になるなあ。

ミッシェルガンエレファントを聞いてロックンロールに目覚めた高1の僕は、どんな25歳を思い描いていたっけな。

35歳の俺なんて考えたくもないな笑

今まで見た本や映画や音楽が自分を作ってきたことを実感しましたね。

もっとたくさん取り込まないといけませんね。

アイコン、偶像、作品としてなにか残すということ、これは言語化できない体験を共有するため装置であり。

小山田壮平の歌が世界を止めちまったように、AOYoungのギターが底抜けに気持ちよかったように、僕たちはまた何かを作ろうとする。

先人達への尊敬を胸に、現在という場所で今までの歴史の全てに胸を借りて、生を実感するために表現する。

 

トイレットペーパーの付いていない宿のトイレで、ケツを洗うのに少し気が引けている。

 

 

僕は、今日を知らない僕の人生なんて嫌だ。

 

そういう日だったよ。

 

どうか、その錠剤を飲む前に、刃物が入り込んでしまう前に、縄を結び始めるその前に、僕と旅に出ないか。

 

まやかしでも嘘っぱちでも、信じよう。

小さくても消えそうでも、信じよう。

信じるというのは弱い弱い行為なんだ。

弱い弱いぼくたちだからやるんだ。

2019年1月1日、インドはバラナシ、サンタナゲストハウスから、全てに愛を込めて。

 

鏡に写った俺の顔、2018年の俺より、少しイケてるよ、そう言い聞かせた。

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秋雨、ジェノベーゼ、エド、乾杯。

中村文則は通り雨みたいに、すごい速さでぼくの中をびちゃびちゃにしてから通過していった。雨が降った直後の澄んだ空気が好きだ。いつもより街並みの輪郭がはっきりしてる気がする。バッドエンドなのに、救いがないのに、悲しくないのは、中村文則の持つ力が雨のそれと近しいからだと思う。

 

何を言ってるんですかね、ごきげんよう

 

ここ一週間で何度か雨が降って、急に冷え込んできた。秋は気がついたらすぐそこにいるからビビるよな。相も変わらずスーツに袖を通して死んだような顔で家を出て死んだような顔で帰ってくるのはもううんざりだけれど、何度も心を乱されて歩みも乱れたけれど、やはり俺はこうしたくて、そのためにはこうするべきだ、と。こうして何度も決意し直していくんでしょう。

 

ランチでも、と約束してTinder経由で会ってみた大学5年生の女の子は、こりゃあランチだけだわ、といった感じだった。ただ、久しぶりに食べたまともなジェノベーゼがすごく美味かった。幸せとは、こういうものかもしれない。違うか。

 

新宿という町は未だ怖い。そこら中から悪臭がするし、キャッチとサラリーマンが取っ組み合いをしてたり、醜いロンリーウルフが今晩の獲物を捕まえるのに必死だったり。ああいう奴らって何歳くらいなんだろう??俺より若いのかな?、とか思っている。あー怖い怖いと思って家に帰ってエド・スタフォードのサバイバル生活を見ていると可笑しくてしょうがない。というかエドの動画と比べると大体のことがくだらないんだけれど。

 

人は25になったら、なにかを決められるんだろうか。30になったら、なにかわかるんだろうか。35になったらやっと、やり直そうと決意するんだろうか。僕はどれくらい出来上がったんだろうか?人格というのは不可逆的に育ち続けるもので、育ったが故に朽ちる部分があるのか。

そんなこと考えてもしょうもない。

今を大事に行きましょう。

ああ、なんだか腹が痛えな。

駅でウンコしてバイト行ってきます。

 

 

などと書いていたのも実は一週間ほど前です。

最近は沈みがちでありますが、生きております。

生活の糧はいつだって同じ。

でも時々、酒で壊せる限り壊し尽くしたので僕にはもうマトモな脳細胞は残ってないんじゃないかと思ったりします。

値上げに伴って、まずいゴールデンバットを吸いながら、今日も同志達に乾杯だぜ、とか都合良く、孤独に酒を煽ります。